「職務給」の年功的運用(?)

 経営システムとか人事制度とか、企業経営はさまざまな制度・システムに基づいて行われている。経営システムや人事制度は時代の変遷に伴って改訂されていく。ここで、まず注意しなければならないことは、『制度』はその国の歴史や文化を背景に持っているということである。

 例えば、アメリカの先任権制度(seniority system)には移民の国アメリカにおける「先着順の文化」が背景にあり、それ抜きには「何故、実力主義、能力重視の筈のアメリカ企業で、『先に入社したものの方が優先される』先任権制度がいまだに機能しているのか」を理解することは難しい。

 アメリカの先任権制度の原語は“seniority system”であるが、同じseniorityでも日本の年功序列制は随分と趣きが異なる。日本企業における年功制の場合は、単に勤続年数の長さだけを基準にした雇用慣行という面に止まらず、「年上の部下は使い難い」といった、「長幼の序」につながる社会的規範の影響もあるように思われる。

 異なる国の制度やシステムについて何か比較が行なわれる場合、どうしても周りの環境と切り離して、その制度・システムだけを取り出して議論を進めざるを得ない面がある。勿論、何かを「抽象」するために何かを「捨象」しなければならないのは止むを得ないことである。が、そこで捨象されていることをもう一度振り返ってみないと、見落とされる部分がある。

 例えば、日米のホワイトカラーの昇進パターンやスピード比較がしばしばなされる。日本企業の場合、大学卒の昇進パターンは、入社後5~7年ぐらいは余り差をつけずに一律に昇進させ、その後は15年後ぐらいまで課長昇進を目指した「スピード競争」が行われ、それ以降はどこまで昇進するかの「トーナメント競争」に入ると言われている。

 これに対して欧米企業の場合には、新しく雇われた社員に入社年次別の昇進管理が行なわれることはなく、誰が何年でどのポストまで昇るかどうかは専ら本人の能力・業績によるものと理解されている。所謂トーナメント型の昇進競争である。
 
 ここで注意を要するのは、米国の大学生は学部卒業後、一旦就職した後3~4年で経営大学院に進学してMBAを取得し、幹部候補生としてもう一度企業に入社するケースが少なくないことである。しかも、米国の大卒ホワイトカラーが学部で身につけるのは専門的知識ではなく、liberal arts(教養教育、基礎知識)である。身につけた専門的知識をベースにトーナメント型の昇進競争に入るとすれば、それはビジネススクールやロースクールを経て後のことであって、そのとき彼らは既に20代の後半になっている。

 企業内のキャリア形成プロセスを調査すれば、日米企業の人事システムの相違点が浮き上がる。そのことはよく知られている。しかし、その前に日本と米国では大学教育の位置付けと内容が大きく異なっていることは、驚くべきことに、ほとんど考慮されていないのが実情である。こうした前提を抜きに、企業内キャリア形成の仕組みだけを取り出してその優劣を論じても、実はほとんど意味がない。

 富士通がシリコンバレーの報酬制度をまねて「年俸制」を導入し、惨憺たる結果に陥ったことは今や周知の事実であるが、その失敗を受けて「職務給」を導入した先進的大企業でも、導入後「毎年給与が上がらないとやる気が出ない」等の社員の不満から、「ある程度の成績なら、一定の範囲で毎年昇給があるような」人事制度への「改良(?)」が行われているケースが、実は多いのである。

 新しく経営システムや人事制度を設計したり導入したりする時には、その国の歴史や文化、教育制度など、経営システム・制度の前提となっている社会的条件を十分に理解し考慮に入れないとうまく定着・機能しない可能性があることに気を付ける必要がある

カテゴリー: 日米企業(比較), 生活習慣, 異文化マネジメント パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です