関西弁とグローバル人材の関係について

 『異文化』というのは、何も海外のこととは限らない。国内でも、沖縄の人と青森の人では随分と言葉が違うし、平均的な結婚年齢も沖縄の方が若いようだし、第一、気候の差から来る人柄が違うような気がする。沖縄の人は開放的で、ものに拘らない傾向がみられるのに対して、青森の人はどちらかと言えば、寡黙で辛いことにもじっと耐え得るイメージがある。

「転勤族」の子は自然と、この国内にある『異文化』を経験する。それが海外との間で通用する異文化理解かどうかは別にして、言葉が通じない(方言が良く分からない)、食べ物が違う(同じ食材でも、地方にはそれぞれその土地の食べ方というものがある)、遊び方が違う……という次第である。

 ここでは、日本国内の『異文化』の中でも関西地方、それも「関西商人のたくましさ」というものに注目してみたい。そもそも、関西には本音を口にするカルチャーがあるのはよく知られている通りである。

 特に、関西商人については「もうかりまっか?」と商売を挨拶にする感覚が面白い。日本人はとかくのをはばかる習性があるが、この習性は海外ビジネス、特に外国人相手の交渉事では問題が多い。しかし、関西商人はごく普通に損得やお金のことを口にすることができるのである。考えてみれば、ビジネスをやるのにお高くとまってみても仕様がないのであって、儲かるか否かを第一に問う姿勢は極めてプラクティカルでもある。

 まして企業は株主から預かったお金でビジネスをしている訳であるから、本来であれば、金額のことをあからさまに言うのは何となく気が引けるなんて言ってる場合ではない筈である。「それでなんぼのもんじゃ」と相手に言うべきなのである。この点、関西商人的感覚の方が「投資する以上は採算を問題にする」という資本の原則、経営者責任の原点に適うグローバル型なのであって、損得やお金のことを口にするのをはばかる日本的習性の方がはるかに海外適性がない。

 こんな習性で、グローバル企業や国際的な投資ファンドなど、生き馬の目を抜く強者達に伍してM&Aビジネスに手を出せばヤケドをするのは当たり前であろう。

 不思議なのは、そういう伝統を持つ関西系企業がいつのまにか日本的習性に染まったのか、「採算を度外視して行なった投資案件」や「無理な多角化」で苦しんでいるケースが多くみられることである。関西系商社も東京に本社を移してしまうと、関西商人の魂を失ってしまうものらしい。猫も杓子も東京へと本社を移した結果、失ったものがグローバルに通用する経営センスであったとすれば、何という皮肉であろうか。

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