英語ができない日本人

 外国人が日本に来て最初に驚くこと、最も嫌がることのひとつは、ラッシュ・アワーの混雑である。まず、その押し合いへし合いの凄まじさに怯えてしまい、とても電車に近づけないという。更に、勇気を出して乗り込んでも、今度は隣り合わせた人とほとんど抱き合うのに近い姿勢になり、夏なら下手をすれば見も知らぬ他人と肌と肌を直接接するという体験に慣れなくてはならない。

 日本人は英語が結構できる。日本人が英語ができないと言われるのは主として英会話能力のことである。しかしそれは「中学校以来6年も8年も勉強してきたのに」話せないことに対する非難であって、読み書きができない訳ではない。読み書きを加えた総合力で判定すれば、「外国人として」の日本人の英語を余りに低く評価するのは妥当ではないように思われる。

 企業では、海外生産の時代に入って、海外へ派遣される社員の主力は各業務分野の専門家の時代になっている。エンジニアは多少言葉がたどたどしくても設計図面や強度計算の算式などを媒介にして意志を疎通させることが可能であり、経理マンは仕訳や会計原則などを通して自分の考えを相手に伝えることができる。複式簿記というグローバル・スタンダードに基づいて仕事が進められるからである。専門家同士というのは、仮に英会話自体は低いレベルに止まったとしても、それによって頭の中でイメージされる内容は表面以上に豊かであり、コミュニケート可能なのである。

 それでも、やはり日本人は英語ができない。それは英語以前に問題があるからである。電車の例で言えば、降りる時「降ります」と声を出す日本人が何人いるだろうか。「ちょっと通して下さい」と声を掛けて通ろうとする人がどれだけいるか。多くの日本人は黙って、体に力を入れてまるで障害物を避けるかのように入口近辺の乗客にほとんど体当たりして降りていく。

 そこで、「降ります」「通して下さい」と自然に言える人は、海外に出れば“Excuse me !” という英語が出て来る。日本でできないことは海外でもできない。だから、日本人は英語ができないのである。

カテゴリー: グローバル人材, 生活習慣, 語学・教育 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です