日本人の若者の「根性」とグローバル人材

 日本ではいま、「グローバル人材論」が盛んである。新聞、雑誌、テレビは勿論、ビジネス書や講演会、果ては「グローバル人材育成コース」なんて研修まで売出し中である。

「グローバル人材」という言葉に込められた意味は曖昧で、それぞれ勝手に解釈しているようであるが、例えば、文部科学省の中央教育審議会・三村明夫会長(新日本製鉄会長)は、「海外で異文化の人と一緒に業務を遂行できる人材、相手の話を聞き、自分の考えで説得できる人材」と定義している。また、橋本徹・国際基督教大学理事長(日本政策投資銀行社長)は、「自分で課題を見つけ、それを解決しようとする力のある人材」であると述べている。

「グローバル人材」には、語学力、とりわけ英語力の必要性を強調する人も少なくない。

 しかしながら、日本企業の海外進出が本格化してから既に40年余り、経済や経営のグローバル化が言われ出してからも既に20年前後が経過しており、正直言って「何をいまさら」の感は否めない。こうした議論を苦々しい思いで見ているベテラン諸氏も多いのではないだろうか。

先日、とある研究会で「グローバル人材論」の問題について話をしたら、ひとりの中国人留学生から質問が出た。「どうして日本人の若者は根性ないですか(?)」
「日本人の若者も、昔は根性があったんですよ。かつて高度成長の時代には『企業戦士』と呼ばれ、言葉も分からないのに遠くアフリカの奥地やチリ(中南米)へ入り込んでビジネスをやり遂げるのが当たり前だった時代があったんですよ」というのが私の答えである。

 DNAは一代や二代で変わるものじゃない。ただ、成功に倦んでファイティング・スピリットを見失っているだけのことである、と私は思う。

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