「サーバー」対「付箋」の戦い(?)

 情報の電子化は「時代の流れ」である。今や大手新聞社は各紙とも「電子版」の宣伝に暇がないし、実際、電車の中でタブレットなどで「電子版」日本経済新聞を読みながら通勤している、という友人もいる。しかし、今の所、それは少数派で、多くの人間は昔ながらに「紙媒体」の新聞を読み、切り抜いたり、ファイルしたりしているようである。因みに、今では新聞配達をしているのは、かつてのような「新聞少年」ではなく、主婦のバイト、言わば「新聞おばさん」である。

 他方、主として在日ブラジル人を顧客として発行されてきたポルトガル語新聞は、経営合理化のためか、「紙媒体」としての発行を一切中止し、電子版だけに切り換えてしまった。 その結果起こったことは、皆がそのポルトガル語新聞を余り読まなくなったことである。新聞というのは「毎朝、拡げて読む」というある種の「文化」であるらしく、「中身が同じなんだからパソコンで読みたい記事だけ検索して読めばいい」と言われても、なかなかそういう行動は起こさないのである。新聞情報というものは、そもそも興味があるから読んでるのではなく、配達されてくるから読んでいるのだということが分かろう。

 2013年2月26日の日本経済新聞に面白い記事が掲載されている。あるベンチャー支援企業でのことであるが、「スタッフが集めた情報を時間のロスなく共有する必用があ」って、「サーバーに情報共有用のファイルを置くなど『デジタル環境』を整え」ていた。しかし、実際には、「皆、仕事が忙しく、頻繁に情報を入力したり他のスタッフの情報を確認したりする作業を十分にできなかった」。
 では、どうやって問題を解決したか(?)週1回会議を招集し、壁に大きな紙を貼り、個人別に色の違う「付箋」を用意して、それぞれの持つ企業情報を書き込み、紙に貼らせたのである。企業情報は「付箋」に書かれているので、出揃ったら「将来性のある順」に並べ替え(張り替え)などが自由にできるなど便利で、有望企業の絞り込みがやり易くなり、「業績が急上昇した」ということである。

 ポイントは二つあるように思われる。

 ひとつは、多くの企業で「データ」が取り込まれ(入力)、サーバーに蓄積され(蓄積)ているが、果たしてそれを経営情報として活用できている企業がどれほどあるのか、という点である。データが詳細になり、入力の手間が増えるほど、ますますその作業に時間を食われ、経営情報として「活用する」ところまで至らないケースがあるのでは意味がない。少人数の企業なら手作業で工夫した方がかえって「考える時間」が生まれるということである。

 もうひとつは、上記の企業事例で分かるように、情報というものは、最終的には「一覧性」と「操作の自由度」がなければ人間の思考にプラスはもたらさないということである。大企業では、勿論、壁に紙を貼ってグローバルな(少なくとも全国的な)情報を整理するという訳にはいかない。当然のことながらIT機器に頼ることになる。末端からインプットされた膨大な情報を集約する過程で、「一覧性」と「操作の自由度」を持つまでに「情報の加工度」を上げることができていなければ、その企業のIT機器やシステムは経営戦略立案に役立たない、ただの「コスト」に過ぎないであろう。

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