「追い出し部屋」対「レイオフ制度」

 所謂「追い出し部屋」の存在が報道され、日本企業による「日本型雇用調整」の問題が注目を集めている(朝日新聞2013年1月28日記事など)。「追い出し部屋」というのは、企業内で発生した雇用余剰の調整のため、リストラ策の一環としての人件費削減のために行なわれる人員削減の手法で、「希望退職」に応じない(高賃金)社員を「マーケット開拓室」とか「キャリア開拓グループ」に異動させ、達成不能なノルマを課したり、転職先を自分で探させたりすることによって、「希望退職」へと社員を追い込むものである。

 企業が経営難に陥り、人員削減が不可避な時、若い人や腕や技術に自信のある人は自分から辞めていく。「希望退職」が募集されれば尚更である。「会社のために」と思って辞める人もいれば、「こんな企業に自分の未来を託したくない」と考える人もいるだろう。中には企業側が「将来の経営幹部」と考えていたような人材も去っていくことがあるという。

 問題になるのは、グローバリゼーションの急速な進展やIT化に乗り遅れた中高年社員である。日本でも転職が増えて来てはいるが、よほど腕に技術があるか高度なノウハウを身に付けていない限り、給与は大きく下がるのが現状である。日本型賃金構造の中で高賃金を受け取る存在である中高年社員は、子供の教育費や住宅ローンの問題を抱えていて、そう簡単に「給与が下がっても」と言って転職できない。

 労働経済学者たちの「内部労働市場論」や「知的熟練論」によれば、中高年のベテラン社員は、「firm-specific skills : 企業特殊的熟練」を身に付けた「企業の宝」「競争力の源泉」の筈であるが、日本企業のプラクティスではいとも簡単に雇用調整の対象になる。「内部労働市場論」「知的熟練論」者達からは一言あって然るべきだが、何故か「黙して語らず」なのは不思議なことである。

 日本の経営者もともすれば、米国企業のレイオフ政策を血も涙もないように受け止めたり、海外子会社の社員向けのspeechで「我が社は従業員を大切にします、従業員に優しい会社です」といった類のことを言うが、経営難に陥ってリストラ策の策定の段になるとあっという間にレイオフ策を採ったり、会社ごと売り飛ばしたりして「従業員に優しくない」意思決定をするのである。

 そもそも「レイオフ制度」とは、米国企業が景気停滞などで操業度を落とすとき、労働協約に基づいて労働者を休ませるものであり、その代わり次に操業度を上げるときにはレイオフ対象者から優先的に再雇用する義務を負う仕組みであって、これを以って「米国企業はヒトに優しくない」と断言する根拠としては薄弱である。この問題には歴史的・社会的経緯が深く絡んでおり、日本企業と米国企業のどちらかの経営がヒトに優しくて、どちらかが血も涙もないという単純なものではないのは明らかであろう。

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