マスクは国産、ユニクロ・ニトリは海外生産(?)、コロナ感染爆発の中でグローバリゼーションについて再考が必要(?)

 1990年に家族とニュヨークでエンパイヤ―・ステ-トビルの屋上展望台に上って、売店で打っているお土産用の廉い“I love New York“というバッヂの裏に”made in China”と書かれているのを見た時、思わず笑ってしまったのを覚えている。

 しかし、2020年にコロナ禍の第一波が襲ってきた時、日本国内でマスク不足に陥り、その主な原因が日本で販売されているマスクの相当量が中国産で直ちに供給を増やせないと知ったときは、正直言って驚いた。とても笑える話ではない。

 勿論、私たちの生活の中には中国産に限らず、ユニクロやニトリ製品のような生活用品からテレビ、DVD、プリンターなどの家電製品、直接目には触れないさまざまな部品類に至るまで、中国に限らず東南アジア諸国などからの輸入品が溢れている。それも日本企業自らが海外現地生産を行なって日本市場での自社の品揃えとしているのである。

 大きく言えば、それはベルリンの壁崩壊に象徴される旧ソ連・東欧圏の崩壊、中国の「社会主義市場経済」への移行などによってもたらされた経済・経営のグローバリゼーションの結果として生じたものであった。2001年に各国間の自由貿易を推進・調整する国際機関であるWTOに中国が加盟したことはその象徴的な出来事である。

 経済・経営のグローバリゼーションは多くの経済主体にさまざまなメリットをもたらしたが、それは企業にとってのコスト競争力であったり、人々の所得アップであったり…「経済・経営」面でのものであった。であるが故に、当時から、例えば「食糧安全保障」の観点から海外からの農産物輸入の増加の危険性を指摘するなど、経済・経営面での「世界最適」を第一に措くグローバリゼーションに対する反対論はあった。

 今回、新型コロナウィルスの世界的な流行という疫病問題がマスクやエクモなどの海外生産依存の危うさを浮き彫りにしたことは、経済・経営のグローバリゼーションの進め方について再考する良い機会なのかもしれない。

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