ノーベル賞の受賞者の本音(?)大学教授の仕事って何(?)

今年のノーベル賞の発表が続き、物理学賞の受賞者に日本人の真鍋氏が含まれていた。氏の研究成果や生い立ちから現在に至るエピソードは大変興味深いものであるし、今回の受賞理由は気候変動に関する最近の世の中の動きに大きく関連したものであった。

気候学に数理モデルを導入したことの意義やそれが今日の地球温暖化現象の解明に有用である点については議論を専門家に任せるのが筋であろう。

ここで注目したいのは、真鍋氏が何故「米国籍」を取得したか、その理由である。マスコミとのインタビューで、真鍋氏は「日本(社会)は『同調圧力』が強いので、自分には合わない」趣旨の発言をしている。若い時から米国で暮らしてきたこともあるだろうが、成功して一度日本に戻っていた時期もあるので、何故米国なのか気になるところである。

ひとつは研究環境であったかもしれない。若くても優秀な学者なら基礎研究であっても日本での何十倍もの予算が付く(氏の場合は高価なものだったコンピューターが自由に使えた)など持てる才能を発揮できるように感じたとも述べている。

更に視点を変えれば、そもそも大学教授の仕事の中身の問題が関係しているのではないだろうか。日本では大学教授の仕事と言えば、まず、教えること(授業・研究指導)と研究することが思い浮かべられよう。大学教授の仕事に組織運営や社会貢献まで含まれることは意外と知られていない。

大学入試に係わる仕事も存在する。出題はまだしも採点、果ては試験監督といった作業も大学教授・教員の仕事の範囲内である。よくテレビのニュースで「大学入学共通テスト」の実施会場が放映されるが、あの会場で問題を受験生に配布したりしているのは事務員ではない。大学教授・教員が動員されているのである。日本の大学教授はなかなか研究に専念できないのが実情であろう。

豊富な研究資金と自由な研究環境、それが真鍋氏に米国籍を選ばせたというのは考え過ぎだろうか(?)
 
 

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