「グローバル人材」論が盛んな理由

 パリの街、横断歩道があろうとなかろうと、信号が青であろうが赤であろうが、人々は道を渡る。自分の目で見て安全だと判断すればその時にその場所で渡る。その代わり、そのリスクは人々が自分で背負っている。車を運転する側は、初めからそうした人々の行動様式を前提に車の運転を行なっている。

「海外のことは実際に住んでみないと分からない」ということがよく言われる。百聞は一見にしかず、出張や旅行で駆け足で垣間見るのではなく、その国の人びとと共に暮らす経験を経ることで他所の国のことがやっと分かるということかもしれない。
しかし、本当は海外に出ることによって知るのは、後にしてきた自分の生まれ育った国のことではないだろうか。住んでいるときには当たり前すぎて特に意識もしていなかった自分の国の習慣、何気ない言葉の使い方……海外に暮らしてみて、自分の身に染み付いたそうした考え方や行動様式の一つ一つが、実はそれなりに意味あるものだということに初めて気が付く。

 横断歩道を渡るとき、車が来るかどうかまず右を向いて注意をするのは左側通行の国の人間の習慣である。日本や英国(英連邦)などの左側通行の国を除き、世界の多くの右側通行の国に暮らす人々は、渡って大丈夫かどうかまず左を見るのである。

 移民の国アメリカや隣国がせめぎ合うヨーロッパの人びとは、生まれ育った国の中でも異なった言葉や文化を持つ人々に触れる機会がより多い。それに比べれば、海という自然が他国との間に存在する日本人はなおさら海外に出ないと生まれ育った国の社会構造や習慣の特殊性に気付かないのかもしれない。

 日本で「グローバル人材」論が盛んなのは、恐らくそうした事情によるのであろう。

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