MBAは会社を滅ぼす(?)それは何故(?)

 日本の大学にMBAコースができて何年になるであろう。「MBAコース」という言葉を使ったが、多くは「社会人専修コース」(MBAコース)と、MBAという名称が括弧内に入っている呼び名であるところが多く、正式名称として「経営学修士(MBA)コース」を設けているのは、国立大学法人で言えば一橋大学商学研究科、神戸大学経営学研究科、長崎大学経済学研究科ぐらいであって、他に「ビジネス・スクール」と称しているところが数校ある。

 ところで、MBAと言えば米国、米国企業の経営幹部に必須の資格のイメージがあるが、そこで何が教えられ、そもそもどのような学生(大学院生)が入学してくるのかを正確に知っている人は少ない。

 米国の大学は4年間の学部教育では、基本的に「教養教育」を行ない、「専門教育」は「スクール(大学院)」で行われる。教養教育とは、歴史、哲学、数学、物理学といった基礎的な学問のことを言い、学生はこれからの人生で役に立つ基本的学問を身に付けるのである。
 これに対して、大学院は専門別に分かれており、経営大学院=ビジネス・スクール、法学大学院=ロー・スクール、医学大学院=メディカル・スクール・・・・という組織になっている。大学院で初めて専門知識を教えるのである。

 ビジネス・スクールを例にとれば、ストレートに学部から進学する者もいるが、入学してくるのは学部卒業後、数年間ビジネス経験を積み、経営者志向を持ち、高額の学資2年分も貯めた学部卒後4~5年の、年齢で言えば27~28歳ぐらいの実務経験者である。しかも、もともと学部では専門教育をしていないため、ビジネス・スクールの教育は簿記の「借り方・貸方」から始まる。日本では学部で学習する初歩の内容である。

そこから始めて、人事、組織、経営戦略、マーケティング、国際経営・・・・と専門科目を教え、教え方がまた、よく知れ荒れているようにハードワークを課す方式だけに、「専門知識の習得」が精一杯で、とても修士論文を書くという暇はないカリキュラムになっている。
 
 そんな米国ビジネス・スクールの中にあって、MITスローン校のビジネス・スクールだけが院生に「修士論文」を課していた。その理由を尋ねると、「MITのMBAはどこか違う」という評価を企業経営者や広く世間から得るためだと言う。ミンツバーク博士が『MBAが会社を滅ぼす』という本を書いて評判を取ったのは財務分析・計数管理優先の米国企業経営者・企業参謀たちを批判したところが受けたのだったが、まさに同じ視点であると言えよう。

 残念ながら、MITスローン・スクールも世間の波には逆らえず、つまり「専門知識」を詰め込むカリキュラムに加えて「考える力」を求められる院生たちの負担感→志願者減という現実に敗れて、MBAに修士論文を課すのを止めてしまった。
 しかし、グローバルに通用する人材の育成を目指し、大学を中心に様々な機関で大学教育(大学院教育)の在り方が求められているとき、MITスローン・スクールの試みは大いに参考にされるべきであろう。

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