「話を聞かない男」と「グローバル企業」の関係

 グローバル化の時代と言っても、各国企業の企業行動には一定のパターンがあり、米国企業は株主を何よりも重視し、市場主義的企業行動を採ることが多く、従業員の解雇にもためらいがない。他方、日本企業は従業員の生産性に注目した経営手法を採ることから、概して解雇には慎重で、株主は軽視しがちである。

 こうした米国型経営と日本型経営を両極に置くと、それらの真ん中、どちらかと言えば日本寄りに位置づけられるのがライン型と呼ばれるドイツ企業であって、ドイツ企業は米国企業のようには株主を重視しないし、従業員の経営参加に積極的に取り組んでいる。と言って、日本企業のように低利益率に甘んじている訳でもない。

 こうした大まかな見取り図が大きな意味では経営者、学者、アナリストたちのコンセンサスであって、企業にはその発祥の地もしくは本社所在国によって色濃く経営のタイプ・型があるという認識が言わば常識となっている。

 ところが、日々の生活の中で生きてる人々は、仕事を離れると仲間と語らい、恋人とデイトし、映画を見、小説を読むが、米国映画であろうとドイツ人作家の小説であろうと、そこに描かれた愛とか家族の絆とかに「世界で共通して」感動し、時には大ヒット作が生まれたりする。

 ちょっと前の話だが、『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がベストセラーになったことがある。アメリカ人女性も日本人女性も同じように「そうか、だからうちの旦那(彼氏)は私の話を聞かないんだわ」とその説明に納得し、ドイツ人男性も日本人男性も「なんだ、地図が読めないのは俺の女房(彼女)だけじゃないのか!」と男女の脳の構造の違いを理解したのである。

 この本が当たったのは、男女間の悩みという多くの人が抱える問題を、人間という「種」のレベルで考えることにより、「イタリア人男性は情熱的」とか「日本女性は控えめ」といった国民性による説明から解き放ち、男女の脳の構造という「普遍的な」から行動の差を説明してみせ、共感を得たからである。その後も、男女お互いの理解を深めるための本や、恋愛や夫婦生活の悩みを脳構造の違いから説いて聞かせる人気エッセイなどは後を絶たない。

 実は、これと似たようなことが経営者、経営学の研究においても繰り広げられてきた。企業経営には上述のような「米国型」や「日本型経営」があり、企業はそのどれを選択するかによって成功したり、業績低迷に陥ったりするという考え方である。実際の産業の盛衰や企業の業績・興亡に即して説明されるとなかなか説得力がある。

 当然、議論は「米国型と日本型とどちらが優れた経営か」という優劣論に陥り、「業績を改善するためにはより良い企業システムに変えよう」という報告書が学者やシンクタンクなどから提案され、経営システムの優劣をめぐって侃々諤々の議論が繰り返されてきた。

 言うまでもなく、こうした議論は馬鹿げている。およそ企業である以上、競争力の優れた企業と劣った企業はある。これは事実である。しかし、それは企業の国籍には関係ない。米国にも日本にも優れた企業もあれば、見劣りのする経営者もいるのが事実である。

 企業システムの国際比較をするのは、その優劣を論じたり、証明するためではない。お互いの「違い」を認識することで、合弁相手や各国子会社従業員の理解度や生産性を挙げ、「より良い企業」になっていくためである。『グローバル企業』という言葉の意味は、事業展開する各国市場の「違いが分かる」企業であるということなのではないだろうか。

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