経営学者はグローバル化に対応できない(?)

「グローバル化に罪はない」というのは名言であろう。2007年のサブプライムローン問題、2008年9月のリーマン・ブラザースの破綻から一挙に金融危機が世界全体に広がり、「100年に一度」と言われる経済危機に陥って、問題の発端となったアメリカ経済や「アメリカン・スタンダ-ド」に対する批判が高まった時、日本でもアメリカ型資本主義を目指したのは間違いだったとする(元)構造改革推進派論者の反省本が出版されたりした時、「インドのカースト制度を無力化したのもグローバリゼーションの成果ではないか」という反問として投げかけられた言葉である。

 グローバリゼーションの是非はともかく、われわれの日常生活レベルで見ても、ここ20年で事実の問題として経済のグローバリゼーションは大きく進展した。

 日本企業の海外進出の拡大は別にしても、日本人の社会生活の中にも外資系企業が多く見かけられるようになっている。もともと石油は外資系(シェル、エッソ)が強いが、ハンバーガーを食べればマクドナルド、コーヒーを飲むにもスターバックスやタリーズ、映画に行くならユナイテッド・シネマ、国内旅行ではディズニー・ランドやユニバーサル・スタジオの人気が高く、西友で買い物をすればその経営はウォルマート、おもちゃを買うにはトイザラスに寄り、日本の上場企業である日産を見れば経営トップは外国人(カルロス・ゴーン)である。

 外資系企業のプレゼンス拡大どころか、日本企業が自社ブランドで販売している製品がそもそも、海外子会社や海外提携会社からの「逆輸入品」であるという現象も身の回りに多く存在している。
 ユニクロの衣類が中国製であり、ニトリの家具がベトナム製、100円ショップの商品にも中国製が多いことは周知の通りであるが、日本の製造業でも高付加価値製品は日本国内で生産するものの、低付加価値品は海外子会社で生産し逆輸入しているケースが多いのも事実である。

 交通手段や通信技術の著しい発達などによってヒト、モノ、カネ、情報の国境を越えた移動が飛躍的に容易になり、世界経済(globe)が一体化していくのが経済のグローバリゼーションである(中国語では「全球化」)とすれば、1980年代以降にそれをもたらしたのは超大型航空機による貨客の安価大量輸送やパソコンによる廉価分散型情報処理、ファックスやインターネットにみられる情報通信技術の革新などであろう。
 これらの動向に加えて、ベルリンの壁の崩壊に象徴される旧ソ連・東欧圏の崩壊や中国の「社会主義市場経済」体制への移行などによって市場規模と競争優位は激変し、「規模の経済性」が働く市場が所謂西側諸国から世界全体へと一挙に拡大し、労働コストの差もまた一挙に10倍、20倍という圧倒的なレベルに拡大した。

 こうした変化は決してアメリカ型資本主義至上主義(「グローバリズム」)がもたらしたものではなく、純粋に、世界的に生起した経済現象、経営環境の変化の問題として受け止めるべきである。学者や経営コンサルタントは「アメリカ至上主義か、グローバル型か」的論争が大好きであるが、それは恐らくそういう問題の立て方には無理があり、結論の出しようがなく、従っていつまでも同じ話題で飯が食えるからに違いない。
 

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