五郎丸、女性活躍推進法、そして人生

 五郎丸選手の活躍が脚光を浴び、日本ではマイナーなスポーツであったラクビーが一躍人気スポーツとなった。今年の流行語大賞は「五郎丸ポーズ」(?)かというぐらい大人も子供も、男子も女子も例のポーズを真似ている。五郎丸選手は日本と海外で選手登録されることになった。野球、サッカー、ゴルフに続いて、日本人がグローバルにプロとして活躍するのはうれしいものである。

 国内では首相が「一億総活躍社会」の実現を唱えているが、「一億総XX 」というのは、歴史的にあまりいい結果を残したことはないようである。それはともかく、今、日本では、この「活躍」という言葉をめぐって議論が巻き起こっている。

 議論が巻き起こっているのは、来年4月から日本の大企業に適用されることになった「女性活躍推進法」への対応問題である。グローバルに見て低いレベルにあると言える日本での女性の社会進出を促すべく、企業に女性の管理職登用度などの数値目標の設定・公表を課そうというのである。

 議論は主として、「数値目標で縛るのがいいのかどうか」をめぐってなされている。目標を無理に守ろうとする企業が出ると、そこでは有能な男性社員の管理職登用が遅れる恐れがあり、むしろ「逆差別」が生じる可能性があるからである。

 何かを達成しようとするときに数値目標を課すことの良し悪しは、古くは米国の黒人差別問題、自動車の排ガス規制、地球規模での環境問題など、枚挙に暇がない。賛否両論、どちらの言い分にもそれぞれ正当性と歴史的事実の重みがある。

 「女性活躍推進法」の問題に戻ると、よく考える必要があるのは「活躍」の意味である。女性管理職比率の高さや、役員会に占める女性役員の割合などは勿論、女性の活躍を示すものであろう。しかし、企業で普通にきちんと仕事をこなしている上に5時からの趣味も持っているOLや、家事と子育てにPTA役員の仕事をてきぱきと切り盛りしている専業主婦は「活躍」していないのか、という原点である。

 女性管理職比率の低さや女性役員の少なさばかりが取り上げられるが、人生を活き活きと生きているのは、むしろ女性の方ではないのか(?)残業地獄や接待社会で自分の時間を持てないでいる男性社員の仕事の仕方を変えることも女性の活躍に役に立つのではないだろうか。今一度、「活躍する」ということの意味を考えてみたいものである。
 

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