戦国時代、儒教、そしてグローバル人材

 よく現代日本の置かれている状況を、幕末期~明治維新、第2次大戦の敗戦に並ぶ第3の危機と言うことがある。1990年代以降の「失われた20年」という日本の経済社会の低迷は、それほどに深刻なのだという意味が込められてのことである。

 第2次大戦の敗北とその後の混乱は措くとして、幕末から明治維新に至る混沌は、多くの藩で下級武士の危機感と西洋文明(知識、技術、とりわけ武器)の急速な取入れから明治維新へと進展した。「黒船が来たら、見たい」と思い、「アメリカに行きたい」と黒船に乗船を試みた行動主義者=吉田松陰、上海密航で英国に食い物にされる中国(清)を目の当たりにした高杉晋作、英国への密航で実際にロンドン=西洋文明を知ってショックを行けた伊藤博文らは、偏狭な国粋主義=攘夷論を捨て、開国派となって明治維新へと日本を導いた。

彼らは江戸時代の日本にあっては異端児であったかもしれないが、江戸時代=徳川政権以前の日本人は、海外との貿易取引、宣教師の来日などもあり、もっと世界を意識していた。主として中国、朝鮮が外国であった時代に比べて、戦国時代には、日本も日本人も地球に目が向いていた。ローマ法王に会いに行った長崎の少年たちや洋風デザインとしか言いようのない兜をかぶった戦国武将たち。裏切りや親殺し(跡目争い)も珍しくなく、江戸時代以降に「日本人の特徴」と言われる「島国根性」や「自分の意見をはっきり言えない・言わない」消極性とは無縁であったと言えよう。日本人も十分にグローバルだったのである。

そうした日本の「グローバルに通じる文化、風土」がどこで変わったのか(?)それは江戸時代の支配者=徳川政権による徹底した250年に亘る思想教育、儒教にあると考えていい。儒教の教えそのものが悪いという意味ではない。徳川政権は、「とにかく徳川の世が続くこと」を至上命題として、支配の道具として「自分で考えないこと」「前例に従うこと」「上を立てること」「秩序に逆らわないこと」の部分だけを士農工商全ての日本人の頭に刷り込んだのである。250年は長い。250年に亘る思想教育、それはそれまでの日本人の持っていた創造性、自由な発想、行動力etc.を奪い去った。

 大切なことは、日本人がもともと自由な発想力に欠けるとか、長幼の序を重んじるあまりに創造性が低いとかいうのは、間違った認識であるということだ。それは日本人のDNAから来るものではなく、いまだに残る幼少期からの躾け、初等・中等教育、日本企業の社内教育の結果、後天的に身に着いてしまっている「行動特性」に過ぎない。そういう「縛り」から解放されれば(された人は)、日本人は十分に「グローバル人材」たり得るのである。
 

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