脱炭素宣言、高い目標、そして伝説のCVCCエンジン

ホンダが大胆にも2040年までにガソリンエンジンを搭載する新車の販売を止めるという「脱ガソリンエンジン車」戦略を打ち出した。ガソリン車に替えて電気自動車や燃料電池車メーカーになるという「脱炭素宣言」である。あのF1のホンダが…と注目を浴びた。

「脱炭素宣言」は時代の大きな潮流であるし、高らかな目標設定は流行り(?)でもある。どこかの国の環境大臣もつい最近、一国の二酸化炭素排出量の削減目標を特に根拠も示さないまま20%上積みしてみせてニュースになった。もっとも、経営学には「ストレッチ戦略」という考え方があり、困難を伴う目標に対して何にも増して「目標に向かう強い意思とやる気」を重視する。環境大臣が経営学の知見に基づいて行動・発言しているのかは図る由もないが……

 ところで、ホンダは創業以来、技術的に画期的なエンジンを開発することで「世界のホンダ」へと成長してきた経緯、歴史がある。代表的な事例が1973年の「CVCCエンジン」の開発だ。

 当時は、モータリゼーションの進行により、世界中が「光化学スモッグ」などの自動車排ガス由来の公害問題で悩んでいた。特に、米国はこの問題に厳しく法的に対処し、1970年には「1976年以降に製造される自動車の排出する窒素化合物(NOx)は1970-71年比で10分の1以下に削減しなければならない」とした。所謂「マスキー法」である。

 現状の10分の1以下という要求に、当然、米国自動車メーカーのビッグスリーは反対し、米国議会の公聴会で「技術的にimpossible」と証言したが、日本でも1973年に「日本版マスキー法」が成立し、米国と同水準の排ガス規制が実行されることとなった。

 本田宗一郎は1972年に、「75年排ガス規制をクリアするエンジンを73年から商品化する」と記者発表し、ホンダの技術陣はそれをガソリンの燃焼技術に工夫することで実現した。かくて、CVCCエンジンはマスキー法をクリアする唯一のエンジンとして世界にその名を響かせ、後発だったホンダはグローバルな自動車メーカーに飛躍したのである。ストレッチが利いたのである。細かい改善・改良をコツコツ積み上げて行くのが日本企業の強みであるというのは平時の視点であろう。

 なお、CVCCエンジンの開発は燃費を改善するものでもあったため、折からの石油ショックの中で、「低燃費の日本車」が世界を席巻するきっかけともなったという意味で、極めて重要なターニングポイントであったことは言うまでもない。

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